猿板

遊山黒子衆SARUの記録

冬尽く三辻の森遊山 豆撒き

                       

 さあ 森に帰ろうか。

それぞれの価値観があるからだろう
僕らの40年の経験が至った山道は
いつも静かな時を歩くことが多い。

◆三辻の森のこと
 三辻山山頂部の森には
標高と緯度の関係によって
山毛欅やアカガシが立ち並ぶ
亜寒帯と温暖帯混生植生がいる。

その草木は種ごとに生態は違うが
混生、共生するための役割があり
それは他の役に立つ「利他」で
森を成しているように感じている。

◆共に生きること
 人間にしても40兆と言われる細胞と
それを超える数の細菌やウイルスなどが
それぞれ役割を果たして生きていることは
この自然の森と同じことだろうと僕は思う。

                       

 そんな自然界で真に正しいことは
自然を離れた僕ら人間は解らないから
個々違う「正しい」を認め合いながら
社会を形成し生きてゆくしかないと思う。

 

でもそれを見定めようとするのであれば
今正しいと合意される思想や学説ではなく
この地球で生命誕生から今まで生き残った
命らの中に糸口がある様に僕は感じている。

                                                   

◆まほらのこと
 杣道を追う山道は祖先が
祀った祠のあった大岩に至る。

 森の民であった僕らの祖先は
森の正しいを神として生きてきた。

 「風が出てきたね」

                       

 伐採で拓けた南に見える海から
風と共に雲がこちらに迫ってきた。

  午後は降るな。

 僕らが見定めかよい始めた
三辻山の森の中のもう一つの森は
伐採程度の変化も些細な事なんだろう。

 「今日もここでおしまい」

                                           

◆かえり道
 明日は節分なので森の命らの
無難を祈念して大豆を撒いた。
豆は「魔滅(まめ)」に通じて
無病息災を祈る意味があるという。

祖先は最も寒い頃に立春を置いた。
それは「極まれば兆す」の想いで
「寒さ極まり春兆す」を見定めた
日本人らしい自然観だと僕は思う。

                                                   

世界で唯一はっきりした四季がある
島国で育んだ祖先の自然観で見定めた
年で最も寒い「立春」から暦は始まり
新しい年に入り草木は目覚めはじめる。

「冬は終わっても
   雪はこれからやね」

 今年の春もしっかり見定めような。

                                                       

「また雪が降るらしいね」

   「大雪は休むかもしれんき」

     「そりゃそう! 無理せられんで」

 今日も感謝して頂きます (^_^)

                 山神に供へし豆を山へ撒く  殿村菟絲子