私は馬鹿で単純だから
高いところが好きかも知れない。
この開けた風景が下界のモヤモヤを
いっぺんに吹き飛ばしてくれます。
◆視線が変わること
ウチがちっちゃく見える。
この広い大地の上で泣いたり
悩んだりしている事も
何だかちっちゃく思えてきます。
◆高見山を後に
キリストやお釈迦様たち賢者は
幸せになるには「不幸」と感じる事を
「幸せ」と思うことだとおっしゃった。
登山もその様なもので
登る労を幸せと思える自分が
自身の喜びを造っているのだろう。
人から見て幸せでも辛いと思う人は
自ら不幸を作っているのだろう。
落ち込んだり悔やんだりする事も
自分を過信しているからだろう。
◆再び森へ
今では誰のものかもわからない
江戸の墓石も並ぶ高見山を後に
古い里道をたどり再び森に入る。
薄暗い森でもテンナンショウや
アオキの若葉が春を告げている。
山又山山桜又山桜 阿波野青畝