猿板

遊山黒子衆SARUの記録

初夏の奥物部遊山 山の精霊達と踊る 後編

お客様

復活したこと
 実はこのお祭りは、
一時途絶えていたものを、
部落に残られた方や出身者の有志で、
15年位前に再開されたものです。
 しかし昔はあったお囃子は、
ラジカセから流れる歌謡曲などに
変わってしまいましたが、
踊りだけは太刀踊りの「韮生踊り」のままです。

 そんな集落の人達の心が呼んだのか
年々踊る人が増えていき、
どこで聞いたのか、この祭りの為だけに、
県外から来てくれる人達も増えてきました。
(ナイナイもその一人です。)
 又、普賢様の賑わいに刺激された、
他の集落のお祭りも幾つか再開し、
我々の出番も増えて嬉しく思っています。

居場所になっていくこと
 「今年も来たかえ!」「一年ぶりやね〜。」
とすっかり顔なじみになった明賀の方々の、
飲めや食えの心のこもった御接待から始まり、(これが凄い!)
韮生踊りに突入していきます。

 「普賢さまは踊りが大好きな神様じゃぁき、
みんなあが賑やかにしてくれるんで神様も喜んじょらぁよ」
すっかり居場所になった我々もノリノリで、。
夜半過ぎまで踊り続けました。

思いやり、助け合うこと
 この「気持ちよさ」は何なのでしょう?
この厳しい環境だから、力合わせないと生きていけない。
モノが豊富でないから、分かち合わないと生きていけない。

「わしらは子供の時から下の人も使うものだから、
谷の水を大切にする様しつけられた。」

自然が厳しいと、人に優しくなり、
ものが無いと、心が豊かになるのでしょうか。

感謝すること
 その晩も毎年のように接待所に泊めていただき、
翌朝和尚のお経と、暖かい朝食までごちそうになり、
後ろ髪を引かれる思いで、今年も明賀を後にしました。

 我々は、このお祭りが続く限りは通い続けます。
それはここが皆さんの待つ、我々の居場所であると思っているからです。

blog Rankingへ 来年も必ず帰ります。 河童拝