猿板

遊山黒子衆SARUの記録

西赤石山アケボノ遊山 起

kurokoshusaru2006-05-14

 西赤石山は、元禄3年(1690年)鉱脈が発見され、
翌年から住友の採掘が始まり、
開抗からわずか8年の元禄11年に、
年間産銅量1,500トン以上を記録するなど世界一の銅山として、
昭和48年に別子銅山が閉鎖になるまで栄えた山です。
 明治26年には日本初の山岳鉄を導入し、
産銅量は一挙に5,000トンに達し、
別子の山中には12,000人もの鉱山関係者が住んだと言われています。

 海抜1.145mの地帯始まった採掘は、
採鉱場所が海面下1.000mに達し、
坑道の総延長約700km
世界でも類のない大鉱床であったようです。
 昭和48年浸透水と地圧による坑道崩壊の危険などにより、
最後の筏津坑の閉鎖により、歴史に幕を閉じました。
 現在も銅山越を挟んで南北の登山ルートには今なお、
当時の面影を残した石垣や坑道跡が残っています。

 しかし、足尾銅山で有名な鉱害は、ここでも例外ではなく、
銅の精錬のために、銅山周辺の山林を乱伐したり、
大量の硫黄分や硫酸を含んだ煤煙によって
周辺の森林は大きな被害を受け山は丸裸となり、
保水力を失った山では洪水が頻繁に起こるようになり、
南斜面の目出度町では、大規模な山津波が発生し、
多くの尊い人命を犠牲にしました。
鉱毒が南斜面の沢に流れ込み、現在でも飲むことは出来ません。

 恐ろしげな事を書いてしまいましたが、
現在稜線には、競争相手が居ないせいか、
ツガザクラアカモノなど、
四国では他に見られない高山植物の群生が見られ、
人によって破壊されたせいで、貴重な植生が見られる皮肉な現象も起こっています。
 又、山も自然に帰ろうとしています。
土壌が失われていますが、
土が少なくても、根圏微生物を利用し窒素を吸収することが出来る、
リョウブヤシャブシなどの植物が森を形成しつつあり、
やがて、これらの落葉により土壌が回復すれば、
ブナのなどの森に帰って行くのでしょうが、
私が見ることはとうてい叶わないことでしょう。

 又、地形も面白く、
日本最大の活断層中央構造線の副産物であるこの法皇山地は、
瀬戸内海の標高0mから、一気に1,800m近くまで標高を上げる、
日本では、他に利尻富士屋久島宮浦岳の、
洋上アルプス以外見られない特殊な地形を持っており、
色んな意味で、他の類を見ない貴重な山域となっています。
すっかり前置きが長くなってしまいましたが、
明日から西赤石山遊山を紹介しますので、宜しくお願いします。