猿板

遊山黒子衆SARUの記録

銅山の峰の遊山 手向け

始まるところ

 元禄3年(1690)に発見された
別子銅山最古の坑道「歓喜抗」。
すべての歴史はここから始まった。


歓喜
坑道は全長700km海抜下1,000mにおよび
江戸当時世界最大の産出量があった銅は
その経営を一手に行った住友家が
日本屈指の巨大財閥となる礎となった。



                            
◆蘭塔婆
 開鉱間もない春に焼鉱窯の飛び火が
大火となり131名が犠牲となった。


                   
住友家はその霊の供養のため
出火場所に近いこの小高い丘の上に
墓所「蘭塔婆」を築いた。



それは300年以上昔のことだが
いまも供養は続けられている。


                             
◆波に吞まれること
 この銅は日本の近代化にも寄与し
欧米植民地政策にピリオドを打つ
力となったことは間違いないと思う。

                          

ただ銅精錬の燃料とするため
山域の森は徹底的に伐採され
木々を失った山は山津波を起こし
多くの命が犠牲となる事もあった。



                       
◆手向けの花
 この人が一旦リセットした環境は
わずか40年でここまで回復し
四国では観ることが困難な植生を呼んだ。



                      
その花は歴史に名を残すことなく
この地に眠る先人英霊方々に
手向ける花のように思えてならない。



                                   死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり  臼田亜浪