私の山での朝はおじやで始まる。
それは昨夜の鍋の余韻と母の米を頂き
ここで全てを完結したいから。
五千年後にはこの山域も日本だって
厚い氷に覆われ何者も住むことが出来ない
氷河期が必ず訪れるはず。
地球の営みとはその様なもの。
だからいま目の前にある風景は
地球の歴史の中で一瞬の風景でしかない。
私達が考えなくてはならない事は
この一瞬の風景を守ると言う
人間の一方的な想いではなく
どうしたら私たちの子孫が一日でも長く
地球上に生きながらえる事が出来るのか。
たとえば鹿が居ること、雪が降ること
土石流が起こり山が崩れること
そして人間の営みだって自然現象。
現象だけ見るのではなく源流を観る。
だからいま目の前にある現象を盾として
争うことは不毛な事だと私は思う。
ただ目的がお金であれば別でしょうね。
帰り道いつもの峠の食堂で頂く
素朴で温かい丼が腸に染みわたり
生きている実感が湧いてくる。
ありがたい ありがたい。
初めての雪闇に降り闇にやむ 野沢節子