猿板

遊山黒子衆SARUの記録

春の別子銅山遊山 集うこと

銅山越え

◆夢の跡
 別子銅山は1690年(元禄3年)から、
1973年(昭和48年)までの約280年間に
のべ70万トンを産出した坑道は全長700km、
最深部は海抜マイナス1,000mにもおよび
江戸当時は世界最大の銅山で
その経営を一手に行った住友家が
日本を代表する巨大財閥となる礎になりました。

 そして閉山の後は植林なども行われ
かつての繁栄は緑深い山へと戻りつつあり
最盛期には労働者3000人(家族含めて1万人)が
暮らしていたという産業遺跡は
今は山中に静かに眠っています。

◆日浦登山道
 この「旧別子銅山」と呼ばれる山域は
西赤石山登山道などルートがいくつかあり
その中でも中心地「目出度町」跡を抜ける
旧別子村「日浦」から足谷川を溯り
「銅山越え」に至るコースは史跡も多く
SARUの定番ルートになっています。

◆賑わう
 今回四国でここだけに咲く
高山植物に会いに行こうという
和宏さんの声掛けで、ご友人4名
讃岐からは天狗、子天狗と天狗の教え子たかみさん
そしてtochiko、ちい、山猫、私と
総勢12名の仲間が集まりました。

 今は登山者以外通ることがなくなった
かつての生活道は新緑に包まれ始めています。
さあ、花と史跡と口福を求める遊山がはじまります。

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