猿板

遊山黒子衆SARUの記録

ガイド新子と極秘遊山 山の歩き方

kurokoshusaru2006-05-02

 中津明神山は、頂上まで車道が延びており、
今回この山の特徴を活かし、
お客さん達は五合目付近から歩いて、
SARUが頂上までご一緒し、
新子は一足先に車で頂上に上がり、
昼食の支度をして待つ計画を立てました。
 4月30日早朝、いの町の道の駅に集合し、
国道33号線を久万高原町に向かい、
中津小学校の標識を左折します。
集落に入れば大宮八幡宮の標識を進み、
神社を過ぎれば、後は道なりで標高約1,000mの登山口標識に着きます。
登山靴に履き替えて、準備体操で体をほぐしましょう。
 でも車での登頂コースは、
このコースの逆側の仁淀川町にあり、
新子は一旦来た道を帰すことになります。
下る新子とはここでお別れです。
さあ皆さん黒子衆SARUとスタートです。
 一般登山道は、植林のショートカットから始まるのですが、
今回は山菜観察のために、秘密のルートに入りました。
成果は、昨日の日記のとおりです。

 やがて登山道と合流し、植林の中の急登を登りはじめます。
 この山の事は以前日記で紹介したので、
今回は河童流山の歩き方をご伝授しましょう。
通常平地を歩く時は、上半身と下半身をひねり、
(足と手は左右交互に出しますよね)
後ろ足を蹴り上げて進むみますが、
斜面を上がる場合は、出した足に重心を移し、
軽くなった後ろ足を上げる歩き方がずっと楽です。
ちょうど山間部にお住まいの方に見られる、
体にひねりを加えず、左右にスイングする歩き方ですね。
(「なんぶなんば歩き」と言う方もいらっしゃいました。)

 江戸時代まで農耕民族である日本人は、
武士や飛脚など以外、走る習慣がなかったようで、
庶民は、皆この様な歩き方をしていたようです。
戦国絵巻などで、庶民が両手を挙げて逃げている絵を見たことがあるかと思いますが、
これは両手を振って、反動とひねりで移動することを知らないためだと言います。
 でも、荷物を担いで長距離を歩くには、
この歩き方が無理がない合理的な歩き方だとも言い、
私は、これを山小屋の荷上げ時代に意識しはじめて、ずいぶん楽になりました。

 さあこの山の歩き方で、きつい急登を登り切ると、
気持ちの良い笹原に出ます。
大きな標識(気象観測ドーム)がある、頂上が見えてきました。