猿板

遊山黒子衆SARUの記録

tochikoなお花見 峠の神様

峠の神様

 

 未だ見た事がないでね。


 と、和宏さんに案内してもらった場所は
とても不思議な場所でした。


 つづら折れの山道を登り
たどり着いた標高700m程の峠には
こぼれんばかりに桜が咲き
そこだけがピンク色に染まっていました。


                   


 木屋平村から徳島への最も近い道は、
川井峠を経て神山を通るこの道である。
この道は燧ノ窪峠を越えて美郷村、山川町へ通ずる道とともに昔から二大幹線であった。
 遠い昔から、人々はこの峠を上り下りして往来した。
貨幣経済の発展により物資の搬出が多くなると、
幅二メートルの道となって人馬の往来はいっそう盛んとなり、
近在の人はこの道を往還と呼んでほかの道と区別した。
 江戸時代初期、山伏を中心とする剣登山が始められるが、
表参道はこの道にあった。峠には劔大権現の鳥居が建ち。茶店が建った。
 現在、昔の峠道は通る人もなく往時の盛況はしのび難く、
「剣山道」と書かれた花崗岩の道標だけが昔を物語っている。
 峠の西方(天行山の反対方向)200メートルに、揺るぎの窪という所がある。 
伝説の「揺るぎの石」物語の現場である。
ここからさらに約1.5キロメートル、1時間少々登ると風宮山(標高1000メートル)に達する。
山頂に、神山の人々がまつる富貴神社がある。
昔は、もう一社、木屋平の人々がまつる風宮神社があったが今はない。
 神山町本根川・奥屋敷および木屋平村大北の人たちがそれぞれの氏子でこれをまつり、
旧三月四日が例祭日で両社とも御輿・だんじりを出して盛大な祭りが行われていた。
 新居熊太の遺稿によると、例祭日当日はここに神山・木屋平の人々が
みんな集まったのではないかと思うほどの人手で、
露店が二〇軒以上も出され、村内の祭りでは一番のにぎわいであったという。


                     「木屋平村史 第四節 川井峠」 より

 
 剣山を望む
 この桜も
ここに暮らす人の手により育てられた風景
峠に対する人々の想いが
この桜に込められているような気がしました。


                      


 春が来て
剣山の小屋開けももうすぐ
山神さまに
この峠の話を聞いてみたくなりました。


剣山頂上から見る小屋平


                                      谷川の音天にある桜かな  石原八束