猿板

遊山黒子衆SARUの記録

山のお母さん遊山 始まりのこと

雪とお父さん

 私は20代から30代にかけた10年間
四国のある山小屋に関わった事があります。
それは働いていたわけでなく休みの殆どを
この小屋の手伝いに上がっていました。
◆丸山荘のこと
 愛媛と高知の県境にある笹ヶ峰
その8合目に山小屋「丸山荘」はあり
伊藤ご夫婦が山守をしていました。

◆学んだこと
 春の登山道整備、夏の草刈り
秋は薪割りに冬の雪かきや賄いなど
荷を背追い通った山仕事の全てが
私の「学び」であり「宝」となりました。

         
その小屋を訪れる多くの方とのご縁も
私の登山道を大きく変えるものとなり
それまでの頂だけを目指していた登山から
四季に目を向ける遊山への道標だったと思います。

◆再び共に歩むこと
 そのご夫婦が山を下りて10年が経ち
お父さんは既に亡くなってしまいましたが
お母さんはお元気で当年84才を迎えられます。

そんな一つの山を30年間守ってきたお母さんが
一度行ってみたいと言っていた剱山に
仲間と共に登る機会がやっと訪れました。
  草刈の昨日刈りたる山を越ゆ  木附沢麦青