猿板

遊山黒子衆SARUの記録

遊山とは何ぞや

kurokoshusaru2006-01-02

 年の初めにもう一度我々の言う「遊山」を考えてみました。
遊山とは何ぞや?
広辞苑』によれば、
 1.山野に遊びに出ること。
 2.禅家で、すでに修行を終えた後、諸方に遊歴すること。
 3.遊びに出掛けること。気晴らしに外出すること。行楽。
 4.慰み。気晴らし。
小学館 日本国語大辞典』によれば、
 1.仏語。禅宗で、一点のくもりもないはればれとした心境になって、
  山水の美しい景色を楽しみ、悠々 自適に過ごすこと。
  また、他山に修行遍歴の旅をすること。
 2.山野に遊びに出かけること。花見や紅葉狩、茸狩などに出掛けること。
 3.遊びに出かけること。気晴らしに外出すること。行楽。
 4.気ばらし。なぐさみ。娯楽。
 5.巡査をいう、盗人仲間の隠語。
「遊山」という言葉の意味として、
仏教(禅宗)の用語があるというのは興味深いことです。
ここでは、ネガティヴな意味合いで用いる享楽的なニュアンスはないようです。
 各辞書によって禅宗用語としての遊山の意味を整理すると、
 1.仏道修行の途中で、他山に遍歴の旅をすること。
 2.修行を終え、ある種の悟りを得た後の、悠々自適な遍歴。
 では、「遊び」とは何ぞや?
大漢和辞典』によれば、「遊」の字の「あそぶ」という意味の中にも、
 1.逸楽する。戯楽する。
 2.旅行する。
 3.就学する。
 4.自適する。
 5.暇でいる。
仏教用語で言うところの遊山では、
おそらく2.や4.の意味があるのでしょうし、
もっと一般的な遊山においては、1.の意味が強くなるのでしょう。
 単に「山遊びをする」といった程度の意味なら、
遊山と書いて「ゆうざん」「ゆうさん」などと読むことがあったようです。
しかし、「物見遊山」という熟語になった場合に「ゆさん」と読みます。
このことの意味というのはいったいなんなのでしょうか。
私には、昔の人の物見遊山をすることに対する思いというものが
感じられてしかたがないのです。
単なる悦楽、気晴らしという次元を超えたところでにある何か。
その何かをこれからの人生(遊山)考えていきたいなと思っています。
ちなみに「物見遊山」とは?
ある文献によると
「近世・江戸時代に入り、都市の発展、消費生活の拡大に伴って、
各地で遊山が行われるようになります。
なかでも、「花見遊山」ともいうべき行事、
桜を始め、梅、桃、躑躅などの花の名所とされる場所で宴を開いたりすることが

民衆の間で流行るようになります。
中には、平安朝の貴族たちの花(梅)の宴を真似たものか、
詩歌に興じる文人層もいたようです。」

 どうでしょうか。我々は目指すところが見えてきたような気がします。
 皆さんもたまには、忙しいお仕事の合間に、
山に限らず「遊山」に参ってみてはいかがでしょうか。
 世俗のしがらみにとらわれずに、
ゆったりと自然の美を楽しむことが大切ではないのでしょうか。