猿板

遊山黒子衆SARUの記録

処暑の加持ヶ峰遊山 法師蟬

         

 修験の滝に祀られた不動明王
自然から事の善悪を学んだ祖先は
他国の信教には寛容であった様で
この様に山奥に祀る事も多かった。

◆真名井の滝
 教会で愛を誓い正月は神社に参る。
墓はお寺に置いてハロウィーンを祝う。
それは善悪を教祖から教わる必要がない
高い人格を得た日本人の寛容さだと思う。

 古の鎖場に架かる階段から
山の稜線を成す大岩へ登った。

                             

◆紅葉谷
 真名井の大岩が堰き止めた
湧き水が堆積させた渓へ下る。
ここにも手付かずの自然がある。

                       

 稜線に降った雨だけはなく
山の自重によって吸い上げた
地下水脈が高いところで湧き出す。

 佐賀山谷川が湧き出す源流点は
この渓水が出流水の回廊の果てにあり
氷雪の時期でも決して枯れることはない。

 さあ 帰ろうか。

                 

◆かえり道
 自然は「捕食者」と「被食者」がいて
人が思う「善」でも「悪」でもないのは
捕食者には被食者は欠かせないものだが
被食者も数を調整する捕食者が必要だから。

それは有機物(炭素)の循環だけれども
被食者の命も捕食者が受け継いでいて
森は命たちを細胞とした一つの生物となって
激しく変動する自然の中で生き残って来た。

                         

だが人間は「支配層」と「非支配層」を作って
ただ「生きるため」以外のものも必要とする
そうでないと生きてゆけない社会という森を
もう一つの森を形成してしまったのだろうか?

 

 ツクツクボウシが鳴いた。

蟬の順番はしんがりまで繋がった。

                 

 「夏休みは終わりやね」

 今年も秋が楽しみだな。

                     鳴き移り次第に遠し法師蟬  寒川鼠骨