「河童ちゃん 秋やね」
ほぼ全国の山地に自生する
ブナ科の落葉高木の実。
成熟すると毬の裂け目からこぼれる。
◆秋の始まり
木が熟す前に落とした実は
虫が入っているものが殆どだ。
でもどうして
それが解るのだろ。
◆かえり道
三辻山の北を横切る山道は
尾根を巻いて南の峠道にはいり
いつもの様に登り口に向かった。
人は認識できるものしか解らないから
栗の摘果を人間の脳で考えても解らない。
人は40~60兆の細胞(命)の集まりで
例えばベトナム戦争の際解ったことだが
ジェットの空中戦で敵機と対峙するとき
目で捕らえた情報を脳に送って判断して
指に伝えていたのでは間に合わない。
「松風草 いい香りやね」
だからどこか別の器官か個々の細胞が
判断しているとしか考えられないと言う。
栗も森も多くの命の集まりで
個々が考え助け合い絡合し生きている。
私も30年森を歩いてそうだろうと思う。
◆森を出る
「涼しくなったね」
家から約2時間でブナに会えて
早駆けしたら午前中に帰宅できる。
ここはいい山だよ。
私達は雨に遭わず下山できたが
やはり午後は不安定になりそうだな。
「月見草が咲いた」
林道の脇に一輪咲いた月光纏う花。
街の騒動と関係なく自然は移ろう。
“ 当分の間 休ませて頂きます ”
お蕎麦は当分おあずけやな。
自然で役に立たない命はない。
この騒動はどうだろうね。
山行の栗の毬より雨あがる 石橋秀野