猿板

遊山黒子衆SARUの記録

小雪の五山所道遊山 神の頂

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 御在所山山頂に鎮座する
韮生山祇神社の祭神は大山祇命
また壇ノ浦で敗れこの地に逃れた
安徳天皇平教盛とも言われる。

◆山上の御神
 その歴史は宝暦年間(1751〜64)
山伏利仙院が御神体を山頂に上げ
五山所大権現と呼んだのが
御在所山の起源と伝わっている。

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◆先人の心
 標高約1,000mにある神社。
これを今造るとしたら
それ相当の費用がかかるだろう。

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これは権力者が造らせたものでなく
この地の里人がここで製材し
長い石段を積み石仏を刻み
人力であることは違いないはず。

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信仰の力もあるだろうが
歴史に名が残らなくとも
利他の心を持ち心を一つにした
日本人だから残せたものだと思う。

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 「三嶺は雲の中やね」

 寒々しい雲だなぁ。
これから冬本番に入るがやね。

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◆帰り道
 日本人は自然をよぉく見た。
日本人は自然を観察する力が鋭く真剣だった。
自然の形を見るだけでなくどうして生きているか
虫や朝顔の気持ちまで見ようとした。

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 自然は人間はどう言うものなのか。
自然と自分は一体なんだと完全にわかった。
工芸品、芸術品、科学も抜きん出ていた。

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自然観察は事実をよく理解する事であり
事実を完全に理解したら幸福が訪れる。
しかし人間の脳は欠陥があるから
日本人は脳を使わずに物事を判断しようとした。

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自然をじ~っと見ることによって
人間というものの影を薄くして至ったものは
天の神様ではなく自然と祖先を神様としたこと。
だから島国で何千年も仲良く生きて来たのだろう。

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◆鎮めるところ

 「お腹すいたね」

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 「今日は山は雪やなかったぁ」

 峠の小さい食堂に来る途中
少しだが山を越えてきた雪を見た。

 三嶺は雪やったと思うで。

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  寒雲の満ちをり更に充ち動く  右城暮石