猿板

遊山黒子衆SARUの記録

和宏さんの花巡礼「銅山越」 顧みる

アカモノ

 「アカモノも見納めやね」
この人為による環境の変化は
ツガザクラやアカモノを呼び
日本高山性植物の南限となった。


◆弔うこと
 その森を失い発生した山津波
焼鉱窯の飛び火による火災の犠牲となった
多くの魂は山域を見下ろす小高い山の上に築いた
蘭塔婆に事業者らにより手厚く葬られた。



                    
◆牛車道へ
 峠への直登ルートの分岐から
牛車道へ入り風景が開ける。



 牛車道とは明治13年に完成した
名の通り牛に荷車をひかせるための道。
全長28kmの道路は標高1300mの
山の上から海近くまで続いていた。
               
道幅は広く勾配も緩やかに作られ
それまでは「仲持ち」と呼ばれる人が
銅や生活物資を担いで山の下まで往復していたが
この牛車道の開通で飛躍的に生産効率が上がった。



◆雲沸き立つ
 遙か石鎚山まで続く縦走路に出る。
かつてお父さんと草刈りをした道が
彼方まで続いているのが見える。
                  
やがてここの高山植物
コメツツジやブナが優勢となる
本来の姿に帰って行くのだろう。



 開国からわずか一世代で
欧米列強と並ぶ国力を持つに至り
列強の侵略から祖国を守って下さった祖先へ
改めて感謝の心が沸き上がってきた。


              


  夏雲むるるこの峡中に死ぬるかな  飯田蛇笏