猿板

遊山黒子衆SARUの記録

明治に分け入る遊山 転

桜餅

 「桜餅をどうぞ」
今日は和宏さんリクエストの
日本初の山岳鉄道跡を歩く遊山。


◆上部鉄道
 1893年明治26年
山岳鉱山鉄道としては日本初
標高1000mを超える
四国の山岳地帯に鉄道が走った。



 上部鉄道は標高800m以上の地点を
急峻な断崖の等高線に沿う形で敷設され
路線は急カーブが連続し
石垣を築き確保されていた。
                     
別子銅山で採掘された鉱石は
石原駅(標高1100m)で積み込まれ
途中交換駅の一本松駅(標高980m)を経由し
石ケ山丈駅(標高850m)で降ろされ



索道で下部鉄道の
端出場駅に輸送された後
新居浜港へ運搬されていた。
                  
 やがて採掘技術の進歩により
坑道から直接鉱石を
下部鉄道に運搬出来る様になり
役目を終え廃止された。

◆先人の心
 開国後30年でここまで至り
列強の植民地支配を跳ね返した
有色人種は日本人だけだろう。
                     
教科書で悪いことのように習った
財閥や富国強兵政策が無かったら
我が国はどうなっていただろう?
            
 = 千人塚 =
その様な事を考えながら
和宏さんの後ろを歩いていた。
                    
 和宏さん
やっぱりご先祖様は
立派だったと思います。



                                     死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり  臼田亜浪