山田さんが屈斜路に建てた
小屋の名前は「朴(ぼく)の家」
「素朴な朴(ホウ)の木が好きなんです」
彼は嬉しそうに私に語ってくれた。
◆1997年2月14日
約束の日山田さんは下山しなかった。
小屋を守るお母さんは心配ないと言うが
私とtochikoは深夜の高速を走り
登山口で遅い夜明けをじっと待った。
◆手向けのとき
雪崩跡から掘り出した彼に
何度呼びかけても返事はなかった。
あの優しい笑顔は返ってこなかった。
「山田さん来たよ」
一瞬、線香の煙がまっすぐ立った。
「山田さんが答えてくれたんだよ」
ろくべえさんありがとう。
そうか貴方が亡くなった歳と
私は同じ歳になってたんだね。
◆頂へ向かうとき
ダケカンバの森林帯を抜け
笹の被う山頂部に向かいました。
来た道を振り返れば赤い屋根の
四国の「朴の家」丸山荘が見える。
私達が愛する四国の峰々が見える。
私達夫婦が若き10年を過ごした山は
あの時と何も変わりなく
私達を迎えてくれました。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉