3年前tochikoの父の死に接し
一人称ではない「死」に
立ち会うことが出来ました。
◆立ち会えなかったこと
街で育った私の死へ立ち会いは
家族が病室を出された後から
装置などが外される「死」がはじまり
次に死者と出会った時は白い着物を纏い
いつでも棺桶に入る事が出来る姿でした。
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◆継がれるもの
でもtochikoの父は
病院まで駆けつけてくれた
部落の方と家族が自宅まで運び
着替えを行い床に寝かせてくれた。
翌日、地域の婦人達が台所に集まり
男衆は道の草刈りや家具の移動など
部落が総出で葬儀の準備をしてくれた。
それは火葬に至るまで
葬儀屋さんの姿は私の記憶にはなく
また檮原に大きな葬祭センターはありません。
◆大切なもの
この山深く暮らす小さな部落は
そうやって死を皆のものとして受け止め
死んだ者は自らの死で
命の貴さを伝えてきたのだと思う。
現在、病院や葬儀屋さんなどの
仕事に変わっている全ての事は
命の尊厳を学ぶことが出来る
大切な時である様に私は感じました。
朝顔の紺の彼方の月日かな 石田波郷