猿板

遊山黒子衆SARUの記録

子猿たちと夏休み 木霊と踊ること

普賢堂

 みんなで最初に向かったのは
土佐最深部“明賀”の盆踊り「普賢様」
子猿は木霊達と踊りに行きました。
◆明賀のこと
 明賀は土佐矢筈山麓標高750mにある
今は3世帯が暮らす小さな集落で
夏は涼しいのですが冬は長く寒さは厳しい
いったん大雨や大雪でもあれば
深く閉ざされ孤立する事もある厳しい環境にあります。
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 また切り立った山に囲まれ平地が乏しく
出来る作物も限られる(米すら貴重です)
 そんな自然の厳しさも受け止めながら
恵みを分かち合い生きてきた集落です。

◆普賢様のこと
 その明賀を含む笹上地区の人々を
ずっと見守ってきたのが普賢菩薩様で
その最深部にある仏堂の歴史は
300年以上昔に遡ります。

 毎年、旧6月23日の晩は盆踊りです。
かつては山を越え徳島の人々まで訪れ
出店も多く集まり踊り手は数百人にもなる
ずいぶん賑やかなお祭りだったと言います。

 しかし今は知る人すら少なくなり
私達が11年前に初めて寄せて頂いた時には
踊り手も10人位の靜かなお祭りとなっていました。

◆集うこと
 しかし明賀の人々は
人が減ろうが“韮生踊り”を踊り続け
我々も普賢様に喜んでもらう踊りの輪の中に
今年も参加させて頂きました。

 子猿たちとお母さん達
初参加の魔王に常連奈良のナイナイ
馬路村の肉うさちゃん
香川からはグランパース岡、天狗隊
猿板でこの祭を知った横須賀の方などなど

日本中から集まった今年の踊り子隊は
村人より多い23名となり
賑やか好きの普賢様も喜んでおられると
地元の方にも喜んで頂けたようです。

◆心を頂くこと
 快く迎えてくれる笑顔と共に
我々をもてなして下さるお料理は
いつもと変わらぬ素朴な
地元の暖かさがたっぷりでした。


 
 「あと何年出来るか解らんが、また来てや」
街の暮らしで忘れがちな“分かち合う心”
その心を確かめる為に通い続けます。
私たちの居場所が木霊と共にある限り。
 いつまでも