猿板

遊山黒子衆SARUの記録

店長「伊予富士」を行く 稜線に至る

伊予富士の懐

 瀬戸内の海岸線から望めるこの山は
伊予の富士として親しまれてきただけでなく
古くから人の生活に深く関わってきた山です。
◆古い峠
 山道は桑瀬峠(1,451m)で稜線に至ります。
ここは私河童とtochikoが始めてテント泊した場所。
 その昔は伊予と土佐を結ぶ峠道として
人々の往来があったようです。
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 この峠からは瀬戸内海や寒風山などが望め
その山々が見せる霧氷のビューポイントで
今日の寒風山も美しい霧氷を纏っていました。
この姿が山名の由来かも知れませんね。

◆基安鉱山
 そして最も深く関わったのが「銅の採掘」でした。
明治初期に発見され大正3年から本格的な採鉱がはじまり
昭和47年の閉山までに最盛期には
月産2,500tを超える銅鉱石を算出したそうです。

 そこには72戸の鉱山集落500人あまりが生活し
配給所、浴場、診療所 、学校等の施設がありました。

          photo by kenzo nakazima
◆大切な思い出
 実はそこで暮らしていたのが
以前紹介した元丸山荘のご主人伊藤夫妻です。

 1998年に野垂れとtochikoが
亡くなった伊藤のお父さんと共に
その山麓にある街の跡を訪れた事を思い出しました。

                   photo by kenzo nakazima
◆冬来たり
 瀬戸内から吹き上げてくる冷たい風に
懐かしい思い出の世界から引き戻され
寒気の本体が訪れたようで
気温も0度まで落ちていました。

 これから道を西に取り「伊予富士」に向かいます。
目の前には霧氷を纏った木々が私たちを待っていました。

 いざ白の世界へ