猿板

遊山黒子衆SARUの記録

tochikoな山歩き 水と暮らすこと

四万川

 その日、兄は一人帰省した私を待ちかねたように
水源地の補修に誘いました。
 生前、父はよく水場(水源地)を気にしていました。
大雨で濁ったり、水が来なくなると
天気に関係なく出かけていたように思います。
 足の悪い父には危険だからと、
母は無理矢理助手席に乗っていましたが、
私は一度も行ったことがありませんでした。

 そして兄と一緒に、
軽四輪トラックで山奥へ。
近頃の大雨で道は荒れ、
草や落石が行く手を阻みますが
数十分林道を登ったところで、
ようやく水場に到着しました。
 水場は林道から10mほど下った場所にあり、
予想以上に増水していました。

 腰まで水に浸かり、ずぶ濡れになりながら、
取水口に溜まった砂を除きました。
兄が傍らでつぶやきました。
「今年初めて親父とこの水場に来て、大きな石を除く作業をした。」
父が倒れる二日前の事だったようです。
いままで誰も誘ったことのない父が、
初めて兄を誘いこの水場を知ったそうです。

 実は、降り続いた大雨の影響で
いつも使っている別の水源の水が濁ってしまい、
葬儀まで別のタンクから水をもらっていることを
母はとても気に病んでいました。

 結局この日の作業は、日没で終わり、
後日、今度はモンゴルから帰っている倫子と、
どうしても行くと言って聞かない母と、
一緒に出かけることになりました。

 水量も減り作業も順調に進み出したところ、
遠くで雷鳴が轟き、大粒の雨が降ってきました。
作業はもう少しで完成だったので、無理をし、
やっとのこと車に乗り込もうとしたその時、
光った!・・と思った瞬間、
バシャーン!と雷が・・・。
家族が顔を見合わせるまもなく身を屈めました。

 命からがら自宅に無事たどり着いた時には、
きっと父がみんなを守ってくれたのだと確信しました。
(留守番をしてくれた姉は父の祭壇の前でずっと手を合わせてくれていたようです)
 
山で暮らすということは、水と暮らすこと・・・。

このたびは、沢山の方から
ご心情こもる励ましのお言葉をいただき、
この場を借りまして、お礼申し上げます。
皆さんに支えられて、元気をいただきました。
ありがとうございました。
tochiko