猿板

遊山黒子衆SARUの記録

遊山に至る経緯 神山カイラースにて

kurokoshusaru2006-04-06

 40才を過ぎた一昨年、
仏教最大の聖地神山カイラース巡礼の機会を得ました。
日本人でさえ、何人も行方不明者を出しているコースで、
朋友のカメラマン野垂れと共に
2ヶ月がかりの命がけの旅に出ることになりました。
 上海より上陸し、2泊3日の列車で、
ユーラシア大陸のど真ん中新彊ウイグル自治区に入り、
バスとヒッチで中国西端の国境まで移動し、
2泊3日未舗装の断崖絶壁の国道を、
アクセル全開ノンストップで走るバスで、
チベット自治区に密入境する旅。
チベットに入ったときは2人とも、
ボロボロの状態になっていました。

 でも、私の心は確実に変化していました。
訪れた辺境と言われる地には、
まだ自然に即して生きている信仰深い人々の生活があり、
その地獄のバスでの助け合いや、
日本人である我々に対しての心遣い、
その優しさは、昨日紹介した丸山荘のご主人に通じるものを感じました。
謙虚さ、優しさは正に自然と接して生まれるものであると確信しました。
 又そこからのカイラースまでの道のりも長く、
途中車が遭難し、全く通行車のない
5,000nの峠でのビバーグはさすがに腹をくくったものでした。

 そんな死ぬような想いでたどり着いた、
聖なる山カイラースの山麓は、
快適な日本の生活では想像も出来ないほど不毛の地だったのですが、
そこにも人の暮らしがあり、大人も子供も同じ澄んだ目をした人達でした。
そして人々を見下ろす聖なる山は、
異郷の地からきた我々にも、何も言わず心に語りかけてくれました。

 私には人間は生きるために生まれ、その過程が大切である。
人々は愛し合い尊重しあうものであると、
カイラースは語ってくれたように思いました。
 実は、まだこの旅の心の整理が着いていません。
私達が何をしたのか、何を感じたのか、私の拙い人生経験では・・・。
まとまりが着きません。またいずれこのテーマはチャレンジします。
今回は、課程を楽しむ「遊山」、人を尊重する「黒子」でありたいと結ばせてください。
又、夕暮れは決して怖いものではなく、明日への始まりであると。
大変お粗末でした。m(__)m