猿板

遊山黒子衆SARUの記録

さっちゃんも中国万歳 ありがとうウイグルの巻

kurokoshusaru2006-02-03

 いよいよトルファンを離れる前日、
ママトが家に招待してくれました。
ママトの家は、カレーズの流れる一本道の傍らにあります。
玄関の門をくぐると中は意外に広く、
葡萄棚や、ナンを焼くかまどがありました。

 ママト夫妻には二男がいて、
ほかにはお母さまと妹夫婦と一女の八人家族です。
敷地内にはママト夫婦の棟とは別に、
ご両親が住まわれていた棟と、
妹夫婦の棟が別々にありますが、
しょっちゅう行き来をしています。
 ママトの部屋に案内されて、
まず目に飛び込んできたのはやはり色鮮やかな絨毯です。
大テーブルには手作りのナンと干しぶどう(自家製)
干しいちじくやナッツ、ナツメヤシの実などが
ぐるりと円を描くように並べられていました。
温かいお茶でおやつがわりにいただくと、心がなごみます。
さて、お茶で冷えた身体が温まったら宴会のはじまりです。
ママトはイスラームの教えに従い、
お酒は飲みません。(だけどヘビースモーカーです)
 奥様の心のこもった手料理は、
ポロやナン、トマトと卵の炒め物、キュウリのピリ辛ソース等、
家庭の味は優しく、身も心も温まります。
 お酒はもちろん葡萄の産地ならではの、ローランのワイン。 
そしてめずらしい新彊の焼酎「老陳酒」それも十年もの。
50度もあるのでなめるようにしか味わえませんが、香りの強いお酒でした。

 ママトが結婚した頃の写真を見せてもらったり、小さい頃の思い出や、
ガイドを職業にしてからの話、
日本の話などを語り合い、時間が過ぎていきました。
 ママトは8歳の頃からロバ車を引いて働いていました。
ガイドを目指してからは独学で日本語を勉強したそうです。
 そして「今は、家族みんなを養っているんだよ」と。
 すごいなぁ〜参りました。
 後で、ゲストルームもみせてもらって、
「今度はここに 泊まるといいよ〜ホテルいらないよ〜」と言ってくれました。
 帰り際、「明日、必ず、朝ご飯食べに来てよ〜」と言ってくれたので、
お言葉に甘えて訪ねたら、ママトは寝ていました。アハハ・・
(起こしちゃった)ゴメンネ
 トルファン最後の一日は、夕方までママトがずっと付き合ってくれました。
お土産買う場所案内してくれたり、バザールでぼられそうになるのを値切ってくれたり、
写真を渡すの手伝ってくれたり、
「列車じゃおいしいものないから」とお店つれていってくれ、
お土産に持ちきれないほどの、干しぶどうを渡してくれ、
駅まで送り届けてくれました。
ママトさん、貴方のおかげで、とても思い出深いウィグルの旅になりました。
ありがとうございました。
また再会出来ることを願いながら、
我々が見えなくなるまで手を振ってくれるママトに後ろ髪を引かれながら、
私達のウイグルの旅は終わりました。

さあ、上海まで折り返し、二泊三日の列車の旅です。
鶏男さん、今頃どうしているだろか・・?