猿板

遊山黒子衆SARUの記録

シリーズ「河童の中国万歳」遺跡探訪其の四

kurokoshusaru2006-01-31

1月3日の続き
 ピチャンの食堂で感動的な再会を果たし、
意気揚々とトルファンに帰る途中に、
やっとガスが晴れた火焔山に立ち寄りました。
トルファン盆地の中央部に東西約100kmの山で、
最高標高851mの横長い山です。
ヒダのある赤い山肌が、
夏場になると地表から立ち上る陽炎によって燃えるように見えるので、
火焔山と呼ばれるようになったそうです。
 この火焔山は日本でもお馴染みの「西遊記」にも登場し、
燃えさかる火焔山に行く手を遮られた玄奘一行は、
その火を消せる芭蕉扇を持つ妖怪と孫悟空が戦った話の山がこれです。
でも、燃えさかる山もこの日は雪化粧でした。
 実は今回の旅では、私は重要な使命を持っていました。
前回の友人との旅で、友人が25年前に出会った方と劇的な再会をし、
 (再会の巻: 2005年9月20日高知新聞夕刊)
http://photos.yahoo.co.jp/ph/kawasentai/vwp?.dir=/%b9%e2%c3%ce%bf%b7%ca%b9%cd%bc%b4%a9%cf%a2%ba%dc&.dnm=2005%c7%af9%b7%ee20%c6%fc.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
 その事を地元の新聞に連載しており、その新聞と再訪した際の写真、
又その話に共感してくれた松山の友人の写真集を届けることでした。
 幾つかの友人から預かった写真は、旅の途中で本人に渡すことが出来たのですが、
この訪問だけは心が重かった。
ひょっとして・・・
 (再訪の巻:2005年11月8日高知新聞夕刊)
http://photos.yahoo.co.jp/ph/kawasentai/vwp?.dir=/%b9%e2%c3%ce%bf%b7%ca%b9%cd%bc%b4%a9%cf%a2%ba%dc&.dnm=2005%c7%af11%b7%ee8%c6%fc.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
 複雑な気持ちでドアを開けました。
中にいたお母さんは、きょとんとした顔をしていましたが、
すぐに気づいてくれたようで、満面の笑顔で「どうぞ会ってやってください。」
(ママトの通訳による)
えっ・・・!そこには、あのお父さんが布団にくるまっていました。
「日本の息子が帰ってきましたよ。」
じっと私を見つめるお父さんの瞳には、やがて涙が浮かんでいました。
私も熱いモノが頬を伝うのを感じていましたが、言葉が出ません・・。
「帰って来ましたよ。お父さん」と心で語りかけながら、手を握るのが精一杯でした。
お父さんも力強く握りかえしててくれました。
 一時間位お邪魔したでしょうか。
別れの際に「いつでも帰って来てください。ここは貴方の家でもあるのですから。」
お母さんは笑顔で見送ってくれ、もう一人の息子にこれを持って帰ってくれと、
皿一杯の干しぶどうを託してくださいました。
 私はこの日も沢山の写真を取ったので、又届けに行かなければなりません。