足谷川に沿う銅山峰までの行程には
元禄から大正5年まで225年にわたる間の
無数の別子銅山産業遺跡が山中に眠っている。
◆変わること
人や馬車が往来した道は
広く勾配も緩やかで登りやすい。
かつて一帯は禿げ山となっていたが
年々樹木が成長している事を実感する。
◆集落の跡
別子銅山は元禄から昭和までの
約280年間に銅70万トンを産出した
最深部海抜下1,000m全長700kmの坑道に至った
当時世界最大規模の鉱山だった。
その経営を一手に行った住友家は
日本を代表する巨大財閥となり
最盛期には1万人がここに暮らしていた。
◆歓声の跡
要人の接待や宿泊に利用した屋敷跡。
連日三味線の音が響いていた屋敷は
今は石垣と煉瓦塀の一部が残るだけとなった。
毎年山神祭りで
京都から役者を呼び盛った劇場と
明治頃児童数300名を超えた小学校跡。
あと100年経った子孫の暮らしは
今の科学、知識では想像出来ない位
変わっているだろう。
だから未来の心配などいらないと思う。
世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る 高野素十