猿板

遊山黒子衆SARUの記録

銅山の峰の遊山 街の跡

人の関わり

 ここは1690年から1973年まで
約280年間にのべ70万トンの
銅を産出した住友別子銅山の跡。


◆接待館
 要人の接待や宿泊に利用した屋敷跡。
最盛期は連日三味線の音が響いていた屋敷は
今は石垣と煉瓦塀の一部が残るだけ。



                            
◆小足谷劇場と別子尋常小学校
 最盛期には労働者3000人
家族含め1万人が暮らした街は
いま山中静かに眠る。
                
 毎年山神祭りで
京都から役者を呼び盛った劇場と
明治頃児童数300名を超えた小学校跡。



                              

◆ダイヤモンド水
 人の関わりを感じ
時を遡り登る山道。


                             
 地質調査であたった水脈を
生活に利用したと言われるわき水
地中残ったダイヤモンドの先端が名の由来で
現在も澄んだ水がこんこんと湧いています。



 冷たい水で汗をぬぐって
ひと休みしていこうや。
                 
 さあここからは
さらに過去へ帰る道。
                                


                                            門ありて唯夏木立ありにけり  高浜虚子